違和感をもつことを無視せず日々を歩む

Waku Waku Gakko 尾道

こどもの居場所や、学びの場が増えている。
その、いろいろな場の案内を目にして、わたしはときどき足が止まる。

こんな力がつきます。
こんな成果が出ます。
この経験が、将来にこうつながります。

紹介そのものが悪いとは思わない。
こんなことをするよ、こんな一日になるよ、というお知らせは、むしろあった方がいい。
楽しみだなと思う。
ただ、その奥に、あらかじめ敷かれたレールの匂いが漂ってくると、違和感になる。

何かを期待させる。
成果が見えそうにする。
将来から逆算して、今この時間を、そのための一区切りにしていく。
悪気はない。
むしろ善意で、親切としてそうされている。
でも、そのまなざしの中で、こどもは「これをやると、何の役に立つのか」を先に問われる存在になっていく気がして、わたしはう〜んとなる。


正直に書くと、この「う〜ん」を、わたしは長く抱え続けている。

言葉にできない違和感。
うまく説明できないから、こんなふうに感じてしまう自分の方が狭いんじゃないか、と思う。
そうやって、違和感と自己嫌悪のあいだをぐるぐるする。
しんどいのは、違和感そのものより、このぐるぐるする思考の回転の方だった。

その「う〜ん」に、少しずつ輪郭をくれたものが、いくつかある。

ひとつは、鈴木寛さんの『卒近代宣言』だ。
卒近代を社会に実装していくための、学びのプラットフォームに、参加させてもらってきた。

大事なのは、近代を否定するのではない、ということ。
ここまで書いてきた違和感に、Noを突きつけたいわけではない。
将来から逆算して計画する力も、目標を立てて管理する力も、この社会を確かに支えてきた。
それを捨てろとは思わない。

でも、その「今は将来のどこに、どう活きるのか」という問いから逆算して、今この瞬間を消化試合にしてしまう態度は、近代的な思想の、最たるもののひとつだと思う。
それはダメだ、と言いたいのではない。
ただ、それが全面的に良いわけでもない。
そのことを軸に添えて、自分の軸足を、近代的な生き方ではないところに、少しだけ置いてみる。
そういう実験を、してみたいのだ。

あなたのいま、ここの衝動から、始めてみる。


「衝動」という言葉は、哲学者の谷川嘉浩さんから借りた。

合理的な説明だけでは集約しきれない、過剰さを含んだ原動力のことだそうだ。
やる気とも、モチベーションとも違う。
「なぜか分からないけれど、どうしてもこれに没頭してしまう」という、理屈にならないエネルギー。

谷川さんは、いまの社会や学校が、この衝動を抑え込む方に働きやすい、と言う。
正しいレールに乗って、将来から逆算して、今を消化試合みたいに生きること。
それが推奨されがちだ、と。

わたしが案内に感じていた「レールの匂い」は、たぶんこれだった。
こどもの中にある、説明のつかない没頭が、外から測られ、急いで意味づけられ、役に立つかどうかで値踏みされていく。
その気配に、わたしはずっと「う〜ん」と言っていたのだ。


こう書くと、まるでわたしが、逆算とは無縁の場所にいるみたいだけれど、そんなことはない。

放課後等デイサービスでの日々からも、わたしは多くを学んでいる。
五領域を掲げ、専門の経験を持ったスタッフの方から教わることの多い現場だ。
ゴールも目標も、一人ひとりにシートを作って、しっかり管理されている。

その上で、日々は、ゴールからではなく、その子からスタートする。

じっくり、待つ。待てれば、その子は変わっていける。
そう信じている人たちの作る場所。
逆算の枠組みを持ちながら、でも日々の出発点は、その子のいま、ここに置く。
矛盾しているようで、たぶんこれが、軸足を少しだけずらす、ということなのだと思う。


谷川さんは、もうひとつ、大事なことを言っている。

「言語化」や「解像度」みたいな流行りの言葉に頼りすぎると、かえってありふれた自己理解に落ちてしまう、と。
小学生が使うような平たい言葉で、自分の違和感を語り直すことの方が大切だ、と。

これは、この文章を書いているわたしへの、ちょうどいい釘だと思う。
名前がついた瞬間に、分かった気になって、それ以上掘るのをやめてしまう。
それはたぶん、わたしが違和感を覚えていた「急いで意味づける」ことと、同じことだから。

そして、もうひとつ、自分に言い聞かせていることがある。

その子が変わっていくのを、「どうや、俺たちがしてやったぜ」というスタンスにしないこと。待って、信じて、そばにいて、その子がひらいていったとして、それを自分の手柄にした瞬間、たぶんわたしは、いちばん大事なものを取りこぼす。ひらいたのはその子であって、わたしではない。

そのことを、何度も自分に確かめながら、わたしは学びの場を運営していきたいのだ。

きれいに畳むつもりはない。
答えも持っていない。
ただ、こどもの中の、うまく説明できない没頭みたいなものを、削らずにそばにいられる時間を、守りたい。
それが将来につながるかどうかは、分からない。
分からないまま、待つ。
今のわたしに書けるのは、そこまでだ。


耕太

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