増えていく鶏、見えてきた設計思想

平飼い養鶏
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チキントラクターを使い始めた頃と並行して、固定の鶏小屋も少しずつ変わっていった。

第一号小屋に、運動場を

最初に建てた第一号の鶏小屋にも、変化があった。

出入口を開けてネットを張り、鶏が自由に歩き回れる運動場を作った。立て付けの小屋に、運動場を組み合わせる形に。

第一号小屋と、チキントラクターの一号・二号。それぞれが、わたしたちの庭を豊かにしてくれる機能を持ちながら、わたしたちの食卓も、満たしてくれるようになっていた。

急に舞い込んできた話

ある日、急に話が舞い込んできた。

知り合いから、「事情があって鶏を手放さないといけない人がいる。何羽か、引き取ってくれないか」と。

「もちろん」

こちらにとっても、相手にとってもプラスになる話はありがたい。

けれど、いざ引き取るとなると、今の小屋の状態では羽数が増えすぎだ。
鶏たちのストレスになりかねない。
急いで、第二号の小屋を建てなければならなくなった。

第二号小屋の、後悔

第二号小屋は、第一号と同じく端材を組み合わせて建てた。

本当は、中に人間が入って、掃除や世話がしやすい広さにしたかった。広々と、立って動けるような小屋を。

しかし、慌てて建てたので、結局は屈んで入らないといけないサイズになってしまった。

これが、後々、非常に使い勝手の悪さとして響いてくる。

4箇所に分散することの大変さ

気がつくと、我が家は4箇所に鶏を分散して飼うようになっていた。

4箇所それぞれで土が豊かになるという良さはあった。
庭のあちこちで、鶏が地面を耕してくれる。

しかし、毎日の餌やり、水やり、卵の回収。
手間が、4倍になってしまった。

それぞれの小屋に入って掃除をすることも、簡単ではない。
屈んで入る小屋では、手が届きにくい場所もあるし、長時間の作業はきつい。

「うちでは飼えなくなって」と託された鶏たちは、それぞれにかわいい。
けれど、世話の現実は、想像以上に重かった。

見えてきたこと:人間が、立って入れるか

そうして試行錯誤を続けるうちに、はっきりと見えてきたことがある。

小屋の中に、人間が立って入れるかどうか。

これは、鶏小屋の設計上、とても大きな意味を持っていた。

掃除のしやすさ。
鶏たちの観察のしやすさ。
何かあった時の修繕のしやすさ。
日々の世話の体への負担。
すべてが、ここに集約される。

屈んで入る小屋を二つ、三つと持つよりも、立って入れる大きな小屋を一つ持つ方が、ずっと続けられる。

「暮らしと作業の境目をなくす」ことは、パーマカルチャーで学んだ大事な発想だった。
鶏小屋にも、同じことが当てはまる。
世話を「重荷の作業」にしないこと。
日常の中に、自然に組み込めるものにすること。

人間が立って入れる小屋——それは、続けられる暮らしのための、大事な条件だった。

10羽規模の暮らし

気づけば、我が家には10羽ほどの鶏がいた。

うちの鶏たちの多くは、「飼えなくなったから」と託された鶏たち。
プロの養鶏家からすれば、産卵率が落ちたからと手放されたベテラン勢。
さらにボリスブラウンのような、卵専用に産卵率を上げて改良された品種は、ほとんどいない。

そんな、地味で年季の入った10羽が、それでも卵を産んでくれる。

6人家族の我が家。
夫婦と、こども4人。

調子のいい時は、自家消費に必要な卵を、買わなくて済む。
そんな暮らしが、成り立つようになっていた。

冬になって寒くなり、卵を産むのがぱたっと止まる時期もある。
1週間で一個ぐらいしか採れなくて、「鶏たちももう年なのかな」と心配することもある。
けれど春になれば、また勢いを取り戻して産んでくれる。
鶏にとっても、季節のリズムがある。

次へ

チキントラクターの良さも、固定式の小屋の良さも、それぞれ見えてきた。

人間が立って入れる小屋——その設計思想を持って、次は、もう少し大きな鶏舎を建てることになる。

10羽から、20羽へ。

我が家だけで卵を消費するのではなく、目に見える関係性の中で、卵を分かち合えるような暮らしへ。


耕太

連載「鶏のいるくらし」第6話へつづく

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