帰国して、また鶏のいる生活から遠ざかっていく毎日だった。
学校での仕事が増え、やりがいや使命感から、家での時間は短くなっていった。
庭の草取りも、思うようにはならない。そんな日々。
転機が訪れたのは、こどもが生まれ、子育ての環境としてむかいしまへ引っ越したことだった。
今思い返しても、何かの縁に導かれたとしか思えない。
広い庭との出会い

庭付きの一軒家。
引っ越しを決める前、下見をしに来た際に驚いた。
庭はテニスができるほどの広さだった。
前の住人が丁寧に暮らしていたのが、よくわかる家。
庭は雑草が生えにくいような、駐車場やグラウンドといった表現の方がぴったりとくる、踏み固められた土だった。
何をするか、自分たち。
そんな土地を持った瞬間、これまで自分の中で抑えてきた「やりたい」の感情が動き出したのを覚えている。
その当時も借りて暮らしていた家には庭があった。
でも、気持ちの入り方は全く違った。
何となく、自給率を上げることや土を豊かにすることを考えていた。
ただ、何かを育てようと思っても、そのままでは野菜も育たないような土の状態。
耕したり、肥やしたり、わたしたちの自給率を上げるために、やらねばならないことはたくさんあった。
そんな私にとって向島で知り合った友人たちが素敵だった。
むかいしまの仲間たち
本当に魅力的な生き方をしている人が多かった。
暮らしを楽しんで、探求している仲間たち。
朝から晩まで学校に、休みの日も部活動、そんな日々を送ってきた自分にとって、彼らの暮らし方はまぶしかった。
こどもが生まれ、自分は自分の人生として、この子らのために何をして生きていきたいのか。
そんな問いに対して、一年のほぼ全てを学校や学校関係に費やしている自分に、疑問が生じていた。
もっと外に出よう。
もっと暮らしに、手間に、時間をかけよう。
こうした感覚を育んでいたのは、きっとアフリカや、これまで旅した海外での出会いも大きく作用していたのだと思う。
友人のひとりは、炭素循環農法で農場を経営していた。
パーマカルチャーを学んで、自宅の庭を素敵にデザインしている人もいた。
自然農で米作りにチャレンジしている人もいた。
海外から来て、福岡正信さんの『わら一本の革命』に感銘を受け、この島で農を営んでいる人もいた。
何でもかんでも手っ取り早く買って揃えて、インスタントに農業をするのとは違う。
じっくりと、自然と向き合いながら暮らしている。
彼らの暮らしについて、話すだけでなく本を借りてもみた。
なお、難しかった。でも、哲学だった。
その哲学は、教育の哲学にとても通じていた。
これだ、と思った。
パーマカルチャーの本のなかに、鶏がいた
何冊かは本を購入した。
奥が深く、読んでも読んでもたどり着かないような世界。
その一つ、パーマカルチャーデザインの本にはイラストが豊富にあり、比較的わかりやすく書かれていた。
居住区から、エリアごとに、植える作物、家畜などをデザインする。
日陰や土地の凸凹といった起伏も利用して、多様な要素を盛り込んでデザインしていく。
こんなところで暮らしたら、最高だろうね。
その中に、鶏がいた。
一旦忘れかけていた、鶏のいる生活。
食べこぼしと、卵のこと
ありがたいことに、わが家にはこどもが増えていた。
食事のたびに飛び散らかる食材。
落ちたものも少々は拾って食べるほど、もったいない精神の強いわたしにとっても、さすがにこれは無理だなという食べ残し・食べこぼしに、罪悪感が募っていた。
庭にそうした残渣を処理するためのコンポストは作って、稼働していた。
しかし、こうした、すぐには食べられない食べ物が、鶏に食べてもらえる——そんな循環のイメージができた。
さらに、卵についても。
卵のある暮らしも、魅力的だった。
当時はスーパーで、セールがあると、「何千円以上のお買い上げのお客様、一家族一パック限り」なんて目玉商品で、10個入りの卵パックが何十円という値段で売られていることもあった。
卵に対しての自分の認識は、「安ければ、多ければ良い」甘かった。
映画などで、ケージ飼いの実態を見る機会もあった。
スーパーで売っている卵が、どういう環境で育てられた鶏のものか、知る機会はあった。
安さの裏にある事実に、無関心ではなかったけれど、目をつぶりたくなることもあった。
知らないふりをしたくなることも。
開発教育を教える自分と、暮らしの自分のあいだで
海外から日本に戻ってからの生活の中で、「おかしい」と思うことは増えた。
それでも立ち止まれなかったり、声に出すことがはばかられるような難しさは、学校現場でも、日々の暮らしでも、たくさんあった。
ちょうど、開発教育の取り組みに力を入れ始めていた時期だった。
開発教育で扱う話題は、食、環境、いろんな分野に及んでいた。
SDGsが叫ばれていた時期。
地球規模の課題ひとつとっても、いろんなことがつながっている。
それを知って、考えて、行動することを大事にしよう——開発教育の実践として、こどもたちとそんなことを考えていた。
一方で、自分自身が、学校現場でも自らの暮らしでも、気づいて考えていることはあっても、行動には移せていなかった。
これは、開発教育を実践していきたい者にとって、まず大きなギャップだった。
正直に気持ち悪かった。
どんなに教材を作って、どんなに授業しようと、まず、学校そのもののあり方を見直したり、自分が陥っている当たり前を見直したり、自分たちの暮らしを見直したり——そっちの方が、よっぽど実践だと思った。
授業はしていないけれど、生き方として、人としてのあり方として、開発教育的な人になることの方が、よっぽど気持ちいいじゃないか。
「鶏だ」と気づいた
様々なタイミングがついた瞬間、鶏だと思った。
気がつけば、知り合いが養鶏を営んでいたり、自宅で卵を自給していたり、そんなコミュニティの中にいた。
「鶏を飼いたいんです!」
言葉にするようになっていたら、知り合いに言葉に出していたら、縁は巡ってきた。
耕太
連載「鶏のいるくらし」第3話へつづく
